2006年06月23日

93年間、お疲れさま

じーちゃんが死んだ。



通常の生活に戻って1週間が経った。もうすぐ誕生日だ。

先週、半狂乱になった母からかかってきた電話はどこか非現実的で
じーちゃんとの1ヶ月半ぶりの対面はまるで現実味のないものだった。


じーちゃんは苦労人だ。

じーちゃんは孫の前で昔話をしなかったので殆どは母から聞いた話だが、
戦時中は南方戦線に赴き、奇跡的に生き残った数少ない中の一人として帰国した。
身長180cmはあろうかという大柄な体なのに体重が40kgを切っていたのだという。
また、当時幼い2人の子を栄養失調で亡くした。母の兄姉であるはずだった2人。
戦争が終わり、やや年老いてからもようやく授かった3人目の子が母だ。
そのため実質母は一人っ子として、それはもう可愛がられて育ったのだという。

孫のオレらも大層に可愛がり、何でも買ってくれた。じーちゃんちにはなんでもあった。
アニメのビデオが山ほど撮り溜めてあったし、おもちゃもおかしもいっぱいあった。
10年程前、大阪でばーちゃんと二人暮らししていた家を出て我が家で同居を始めた。
いつしかオレが家を出て、弟が家を出て、そして、たまに帰ると喜んでくれた。
今年の正月、久々に全員が実家に揃い、じーちゃんもばーちゃんも連れて初詣へ行き、
オレら3人の孫はSPのようにじーちゃんばーちゃんにつききり、手をひいて歩いた。
「最高に幸せや」と言ってくれた。今思えばこれが最後の孝行になってしまった。

最近では就職活動をしていることを心配してくれて
「まだ決まらんのか?好きなようにしたらええんや」
「お金かかっとるんやろう、少ないけどとっとき」
と、実家に帰る度に励ましてくれ、小遣いをくれた。


じーちゃんは何でも出来た。

何かを作ることにかけてはすごかった。食事を運ぶ台車も犬が出ないようにする庭の門も
全部手作りだ。台車に関しては90過ぎてからだ。売ってるものと遜色無い立派な台車。
90前くらいまで自転車で生協に買い物に行っていたし、HDレコーダーさえ使ってた。
ボケることなどまるで無縁、いつ帰ってもその時々の(最近では就活の)話をしていた。
ずっとばーちゃんと共に生活することを貫き、何かしらにつけて面倒を見続けていた。

ばーちゃんは少しボケはじめていて、オレらはおろか、母のことも時折わからなくなった。
最近そんな状態に拍車がかかって、何を話しているのかもよくわからなかったりしたから
じーちゃんが死んだことを理解できるか不安に思ったが、棺桶を前にしてばーちゃんは
びっくりするくらい流暢に「お父さん・・・もう返事してくれはらへんの」と話しかけた。


3日に渡っての通夜、告別式、収骨を終え、家に帰ってきて、次の日から日常に戻った。

「誕生日ももうすぐやし、就職も決まったらお祝いせんならんなぁ」
ゴールデンウィークに帰った時に交わした、じーちゃんとの最後の会話の中での言葉。

もうすぐ誕生日だ。就職も決まったよ。お祝い楽しみにしてたのになぁ。
でも、今までじーちゃんちゃんには数えきれない程祝ってもらったから、もう充分だよ。

ありがとう。お疲れさま。
posted by まさ at 22:11| ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
孫想いを絵に書いたような御爺さんだったね。
ご冥福をお祈り申し上げます。
Posted by mazda at 2006年06月25日 13:34
そういえばまっちゃんは1回うちに来たとき会ったんだったね。

じーちゃんは目があまり良くなかったから、まっちゃんをオレと間違えて話しかけてて、後ろからもオレが来たからキツネにつままれたような顔をしていたなぁ(笑)
Posted by まさ at 2006年06月26日 22:13
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